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Franco et O.K. Jazz (1956-89)

Freddy Mayaula Mayoni, guitar(1974-87)


Artist

MAYAULA MAYONI

Title

1975/1980 THE BEST OF MAYAULA MAYONI VOLUME 1
CHERIE BONDOWE


mayaula
Japanese Title

国内未発売

Date 1975 / 1980
Label SONODISC CDS 6850(FR)
CD Release 1996
Rating ★★★★
Availability


Review

 演歌の世界では「1曲当てれば10年は食える」といわれる。「さざんかの宿」の大川栄策、「奥飛騨慕情」の竜鉄也、「みちづれ」の牧村三枝子、「氷雨」の日野美香等々、放った一発が四方に飛散し夜空の塵となってもなお、しぶとくくすぶりつづけているこのような例は枚挙に暇がない。これらのひとたちは芸能界の片隅で細々と生き残っているという点では謙虚さがあって許せるが、おなじ一発屋でありながら大物ぶって芸能界の中心付近に堂々と君臨している肝の太い野郎がいる。山本穣二だ。
 
 ここに紹介するマユーラ・マヨーニ Mayaula Mayoni はコンゴ〜ザイール音楽界の山本穣二と呼ぶのがふさわしい。理由は3つある。
 
 山本穣二がいまも第一線でいられるのもそのバックにサブちゃんが控えていればこそ。おなじようにマユーラにもフランコという“オヤジ”の存在があった。フランコが最後のステージに上がったさい、オヤジの介添えについたのがマネージャーのマンゼンザとマユーラだったという事実ひとつをとってもかれの忠犬ぶりがうかがえよう。これが理由の第1。
 
 2番目の理由はマユーラの前歴に関係がある。マユーラは74年にTPOKジャズにはいる前はフランコもスポンサーになっていたキンシャサのサッカーチーム、ヴィタ・クラブの選手だった。これは山本穣二が甲子園球児だったことと見事に符合する。「それをいうなら、かつて巨人で“史上最強の5番打者”と呼ばれ、引退後はソロ歌手を経て敏いとうとハッピー&ブルーにはいった柳田真宏だって十分資格があるではないか!」との異論が出てきて当然だろう。しかし、それをいってしまったら“元祖未納女優”江角マキコはどうなんだ?ガッツ石松は?って議論にも発展しかねない。そこで、第3のくさびを打ち込むことにしよう。
 
 山本穣二に「みちのくひとり旅」があったように、マユーラには'CHERIE BONDOWE' という大ヒット曲があった。しかし、それしかなかった。にもかかわらず、現在ではルンバ・コンゴレーズのマエストロ、“ドン・パドリーニョ”として君臨している。
 このとおり、マユーラは山本穣二でなくしてだれであろう!
 
 それでもご不満というのなら、さらにもうひとつ証拠をあげよう。それはファッションだ。
 アルバムの表紙に注目してほしい。金ボタンがまぶしい真紅のジャケットに幅広の開襟シャツ。第2ボタンのみをさりげなくかけているところが心憎いではないか。襟の下から胸元にかけては銀の鎖状のアクセサリーが見える。さらに褐色の肌によく映える金のネックレス。軽く突きだした左手の薬指には金のリングがキラリ。「天下はオレのもの」といわんばかりに澄み渡った青空のただなか、右のコブシを軽く握って余裕の笑みさえ浮かべるこのダンディな容姿を見よ。
 一見ラフだがカネはかかってそうな地元のあんちゃん風着こなしが、穣二とマユーラを見えない糸でつないでいるのがおわかりいただけたと思う。
 
 しかし、マユーラは歌手ではなくリズム・ギターの担当だった。フランコはむしろ、シマロがそうであったようにかれのコンポーザーとしての力量を買っていたようだ。
 
 かれが書いた'CHERIE BONDOWE' は、TPOKジャズに加入してまもない75年に発表された。歌詞が売春婦のモノローグのスタイルをとっていたことから売春を奨励するものとして物議を醸したという。しかし、音楽だけをとれば、コーラス、ギター、ベース、ハイハットを中心とするスピーディでおそろしくキレのよい演奏で、わいせつさはカケラも感じられない。けっして悪い内容ではないが、これほどヒットしたのはやはりあの歌詞であったればこそといえるだろう。
 
 ところで、ザイールでは67年に検閲委員会が設置され、O.K.ジャズも過去に何度か発禁処分を受けていた。そこでフランコは当局の検閲をかわすために、この曲をはじめにベルギーで発売しておいて、キンシャサへはブートレッグを偽装したカセットで流通させた。ブートレッグならば検閲局は著作権者に責任を追求できないだろうという逆転の発想である。これをきっかけに、その種のカセットがたちまち巷にあふれるようになった。
 
 法の網の目をかいくぐるこのようなやり方を、司法長官ケンゴ・ワ・ドンドはこれ以上見過ごすわけにはいかなかった。そして、79年、カセットで流通した'HELENE''JACKY' がきっかけとなってフランコはついに逮捕された。
 もともとは検閲逃れの手段として使われるようになったカセット方式だったが、このことが本物のブートレッグの横行を容認しフランコらミュージシャンに打撃を与えるという皮肉な結果を招いてしまったことも、ひとこと、つけ加えておこう。
 
 このように'CHERIE BONDOWE' は、その後のTPOKジャズのみならず、ザイール音楽の流れをも左右する分岐点に位置づけられる重要作品である。にもかかわらず、フランコ名義のCDには収録されておらず、その意味で貴重な復刻といえよう。
 
 1曲が大当たりすると2匹目のドジョウをねらうのが世の常。戦前にディック・ミネ川畑文子が歌ってヒットしたアメリカ映画の主題歌「上海リル」をヒントに、戦後つくられた「上海帰りのリル」が、津村謙の歌で大ヒットした。すると、この歌の「だれかリルを知らないか」のサビの部分を受けて、「私はリルよ」「霧の港のリル」「私は銀座リル」などのアンサーソングが次々にあらわれたことを思い出す。
 
 本盤2曲目の'BONDOWE II''CHERIE BONDOWE' のヒットを受けて同年中に発表された続編。'CHERIE BONDOWE' とは対照的に、ゆったりしていてワークソングのような哀愁味にあふれる。この曲はFRANCO, SIMARO ET LE TP OK JAZZ "1974/1975"(AFRICAN/SONODISC CD 36519)で復刻済み。
 75年のTPOKジャズの演奏としてはほかに'BONDOKI' を収録。'CHERIE BONDOWE' とは無関係のようだが曲調はよく似た感じ。こちらは未復刻。
 
 5年後の80年に発表された'PARDON CHERIE' もタイトルから察するに'CHERIE BONDOWE' の後日譚かサイドストーリーだろう。'BOMBANDA COMPLIQUE' も曲中「シェリー」と連呼していることからして“ドジョウ”だと思う。これらに'A CHANGE KAZAKA' を加えた80年の3曲に、フランコが参加しているかは微妙なところだが、ジョスキーを中心としたヨーロッパ組TPOKジャズの演奏であることはまちがいなさそうである。
 ファンクっぽいギターリフが前面に持ってきたことで、音の輪郭がいっそうドライでシャープに研ぎすまされた印象を受ける。個人的には音のたゆたいが感じられた75年の演奏のほうが好き。3曲ともTPOKジャズ名義では未復刻のはず。
 
 みてきたように、本盤には'CHERIE BONDOWE' シリーズがすくなくとも4曲は収録されている。ということは「みちのくひとり旅」にもドジョウが何匹かいるはず。そう予感して、ごていねいにも北島音楽事務所のサイトを当たってみた。すると、出るわ、出るわのドジョウすくい状態。もちろん1曲とて聴いたことないが「奥州路」「旅の終りはお前」「おまえと生きる」あたりは純血種とみてまずまちがいないだろう。
 
 北の穣二に、南のマユーラ。ウェットな穣二に、ドライなマユーラ。たとえ生まれ育ちはちがっていても、ふたりのつながりにはやはりただならぬものがあった。

 ところで、マユーラはTPOKジャズでの活動とは別に、自分が書いた曲をそれにもっともふさわしいと感じた人物に提供することに無類の喜びを感じていたひとらしい。デビュー直後の76年に当時19歳のムポンゴ・ロヴ M'Pongo Love に提供した'NDAYA' は、そんなかれの傑作でありロヴの代表曲でもある。
 
 ムポンゴ・ロヴは、TPOKジャズにいたサックス奏者エンポンポ Empompo Loway が発掘した歌姫。愛するひととのしあわせな結婚生活をポップなメロディでつづったこの曲は、雪村いづみ系の、すこしクセのあるキュートなロヴの歌声とベストマッチ。若い女性のウキウキした気分をレイ・レマ Ray Lema のストライド系ピアノとエンポンポの陽気なサックスがうまく表現している。
 ちなみに、この曲は"COMPILATIONS MUSIQUE CONGOLO-ZAIROISE (1972/1973)"(SONODISC CD 36531)にも収録されている。

 山本穣二のせいでとりとめのない文章になってしまったけれども、ムポンゴ・ロヴの'NDAYA' を除く6曲はフランコ存命中のTPOKジャズの演奏であり、そのうちの5曲が初復刻という意味でO.K.ジャズ・ファンには見逃せない1枚であるにはちがいない。

 ソノディスクからは他に"NABALI MISERE/OUSMANE BAKAYOKO"(SONODISC CDS 7025)が発売されている。これは、おそらく70年代半ばごろから90年代までの、さまざまなアーティストによるマユーラ作品の録音7曲からなるコンピレーション。どのアーティストによるものなのか、データがまったく載っていないのは最悪。これらのうち'MOMI''NABALI MISERE' の2曲はTPOKジャズの演奏。ただし、'MOMI'"SOUVENIRS DE UN DEUX TROIS"( AFRICAN/SONODISC CD 36551)、16分31秒に及ぶ大作'NABALI MISERE'"EN COLERE VOLUME 1 1979-1980"(AFRICAN/SONODISC CDS 6861)に復刻済み。そのほかにもンゴヤルトから発売されていたMAYAULA MAYONI "TO DO ONE'S BEST"(NGOYARTO NG025)はTPOKジャズでの作品集だが筆者未所有につき詳細不明。


(5.20.04)



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by Tatsushi Tsukahara